私たちの仕事って
今夜飲むワインを選ぶ時、目の前のお客さまにオススメの1本を選ぶ時。皆さんはどんな事を考えながら、そのとある1本を選んでますでしょうか。
1年に生まれるワインの数は膨大で、さらには毎年生まれ続けていくわけですから、今この瞬間に飲まれることを待っているワインの種類は、それこそ星の数ほどあるはずなんです。さらには同じ造り手、同じ畑、同じヴィンテージのワインであっても、昨年飲んだ味わいと今日飲む味わいは違うはずですし、極端な話、自分のグラスに入っているワインと目の前の人に注いだワインとですら味わいが違います。これの意味するところは、ある瞬間に自分が感じているワインの味わいというものは、再現不可能な宇宙で唯一の経験だと言うこと。そして、この無限の味わいの「全てを知っている」人など存在し得ないと言うことです。
誰にとっても1年は365日しかないわけで、一人の人間が、試飲や味見などではなく「飲む」という行為を通じてワインと向き合える回数はおのずと決まってきます。毎日1本飲んだとしても365種類しか経験できないのですから、一生かけてもワインの全てを知ることはできないという事です。
全てを知る事ができない、知る必要がないと思えた時、ワイン選びはぐっと楽になります。その人が、その人なりの理由であったり、縁であったりで、「自由に」ワインを選べば良いのだという事です。なにせ誰も全てのワインを知ることができないのですから、世界一価値のある(≒世界一美味しい)ワインなどは存在しないのです。その人が、世界で一番「好き」なワインが見つかれば、それ以上の幸せはないのかなと思います。ですので、私たちが、皆様にお届けするワインを選ぶ際も、「絶対的に」美味しいものであるとか、「普遍的に」価値があるものであるとかを考えて選ぶことはありません。では、どうやってワインを選ぶのか、そんなお話を少し書かせて頂きたいと思います。
と長いまえがきでもったいぶったものの、答えは実はシンプルです。
誤解を恐れずに言えば、「美味しさ」よりも、その造り手、そのワインしか持っていない「表現力」をより重視しています。それは「個性」や「オリジナリティ」という言葉に置き換えることもできます。
それでは、美味しくなくても個性があるワインだったら輸入するのか?と問われると、そうではありません。ただ幸いな事に、美味しいワインというのは思いのほか多く世の中に存在するのです。
当社ではフランスワインの取扱いが圧倒的に多いですが、それらを選ぶべくフランスの試飲会に参加すると新旧取り混ぜて実に多くの造り手と出会います。さらには、そのひとりひとりが幾つかのキュヴェを造っていたりするわけですから、本当に膨大な数です。そしてその多くは、これまたひとりひとりの人間が、自然の営みと大いなる力に対峙しながら生み出したワインであり、それぞれに美点があると思います。つまり「美味しくない」と即座に断ずるワインというのは決して多くはないということです。
一方で、先に挙げたように、私たちのアルコールの処理能力や時間は有限であるので、その全てを楽しむことは不可能です。で、あるならば、そこから何かしらの基準を持って「選ぶ」という行為が必要になってくるのです。そして何を「選ぶ」かに関して、インポーターによっても、個々の人によってもそれぞれ違った基準があるでしょう。だからこそ多様なワインが、多様なインポーターや販売に関わる人たちの手によって皆さんに届けられるのだと思います。
では、私たちのワイン選びの基準となるものは何か。それは、「美味しい」という曖昧な基準をなんとなくクリアするのは大前提として、その上で、そのワインからしか得られないワクワクするような感覚があるか、その造り手が手がけたワインからしか感じない「オリジナリティ」があるか、ということが非常に重要だと考えています。
それは、1本のワインを飲むという行為を通じて、単に「美味しい」という体験にとどまらず、「どんな場所で、どんな人が、この味わいを備えたワインを生み出しているのだろうか?」と思わず問い、その1本の背景に関わる人や自然の営みに想いを馳せて頂きたいからに他なりません。
これだけモノが溢れる世の中において、ワインを飲むという行為の意味は何だろうと考える事があります。もし、とあるワインを単なる「美味しいモノ」として消費するだけであれば、少し虚しい気もします。しかし、とあるワインを通じて、遠く離れた大地に生きる人であったり、ブドウであったり、その土地の空気や文化であったりに想いを馳せることができたなら、それは単なる消費ではなく、彼らとのコミュニケーションなのだと思います。
私たち人間は、人と人とのつながりを心地良いものだと感じるのだと言います。もしとあるワインから造り手の個性や人柄を感じるとしたら、それは彼らからのメッセージを受け取っていることであり、彼らとの対話の始まりにほかなりません。例え彼らと直接話す機会がすぐに訪れなかったとしても、何かに共鳴して目の前の1本のワインを飲むことは、彼らにメッセージを発することになります。
こうしたささやかな対話から始めて、造り手と飲み手がつながり、ある価値観を共有するコミュニティの絆が広がれば良いなと思っています。ですので、これまで以上に造り手と飲み手の対話を深めて頂けるように、私たちも真剣に取り組んで行きたいと考えております。
「造り手と飲み手をつなげる」こうした言葉は本当に使い古されていて、陳腐でさえあるかもしれません。だからこそもう一度、言葉通りの事をできるように、気持ちを新たに頑張ってみたいと思います。
WORDS & PHOTOGRAPH JUN FUJIKI