「神様と呼ばないで」


フランスの自然派ワインの生産者たちの中で、最も尊敬を集めている人は誰か。そう問われたとするならば、それは、ピエール・オヴェルノワその人であると断言できます。ロワールのティエリー・ピュズラ、プリューレ・ロックのアンリ・フレドリック・ロック、フィリップ・パカレ、ボジョレーのジャン・フォイヤール、ローヌの大岡弘武などなど、名前を挙げればきりがありません。多くの人から敬意を集め、自然派の神様とまで呼ばれることのあるピエールですが、その実は、「神様」という言葉の持つ尊大な印象は微塵もなく、優しく、柔らかく、しかし真剣な眼差しで訪問客を迎えてくれます。その姿は、神様というよりも「ピエールお爺ちゃん」という趣で、その優しい笑顔の奥には、ワインやブドウに対する膨大な情熱と栽培・醸造にいたるまでの緻密な理論が秘められています。

ピエール・オヴェルノワを訪問すると、その生活の素朴さと豊かさに心打たれます。生き方自体が自然派というピエールは、朝起きてから夜寝るまでの日常に、余分なもの、無駄なもの、意味の無いものは一切ありません。決して物質的に豪華な生活をしているわけではありませんが、心を豊かにするためのものは全て揃っているのです。そんな彼の生き方、人柄、哲学が鏡のように写し取られているのがピエール・オヴェルノワのワインなのです。

現在、ピエール自身は、ワイン造りの一線から引退し、その後を弟子のエマニュエル・ウイヨンが継いでいます。栽培・醸造の全ての方針はエマニュエルによって決定されています。ピエールが、長年共に働いてきたエマニュエルに、何かを指示することもありません。それほどエマニュエルを信頼していますし、だからこそ「ピエール・オヴェルノワ」という自身の名を、エマニュエルが手がけるワインに与えているのです。もっとも、引退といっても何かが大きく変わったわけではありません。エマニュエルやその家族と会い、食事を共にし、畑に出てブドウと語り合い、とそれまでの生活と何一つ変わらない毎日を送っています。なぜなら、それら全てが、ピエールにとっては、生きる事と同義だからです。

「伝説を継ぐ者」

ピエール・オヴェルノワでなければ、オヴェルノワのワインは造れない。これは真実です。彼らほど清貧で、素朴で、研ぎ澄まされた生き方をしていなければ、その気品や美しさをワインに写し取ることはできません。ワインは、造り手の生き方や人柄を映す鏡ですから、ピエールにはピエールのワイン、エマニュエルにはエマニュエルのワインが、当然生まれます。そこで、過去への執着や邪推で、彼らのワインを斜に見るというのもあまり建設的ではありません。エマニュエル・ウイヨンのワイン造りに対する情熱は、驚くほど旺盛です。先日、エマニュエルの自宅を訪問した際、パリの自然派ワインバー「バラタン」の夫妻とボジョレーの生産者ジャン・フォイヤール夫妻が偶然居合わせており、彼らとワインに関して延々と語り合っていました。「この年のワインは今こういう状態だから、こうする。」「これはもうすぐ瓶詰め。」「これはまだまだ樽で熟成させる。」などなど。口を開けば、ワインの話になります。しかも、来客のあったこの日が特別というわけでなく、毎日毎日、尽きることなくワインやブドウの話をし続けるというのです。そして、絶妙なタイミングに的確なアドバイスをするのが、ピエール。「この年はこうだったね。」「こっちは、まだワインが眠ってるね。」と決して「ああしなさい、こうしなさい」と指示するわけでなく、自らの経験や哲学で、そっとエマニュエルをサポートします。この瞬間、代替わりをしてワインが変わってしまう、品質が落ちるなどという、よく聞くような下世話な話題は、このメゾンに関しては起こりえないなと確信できました。エマニュエル・ウイヨンは、偉大なる先人ピエール・オヴェルノワから、大いなる遺産を受け継ぎ、その偉大なる伝説を継承しています。畑や醸造所にはじまり、経験、理論、知識、哲学、そして未だリリースされず樽で眠るワインたち。全てを托されたエマニュエル・ウイヨンが、これからの未来において、彼自身の手によってつむがれた新しい伝説を私達に届けてくれることでしょう。

※余談
ピエール・オヴェルノワが、自然派生産者たちに尊敬されているのがよくわかるエピソードがあります。ロワールのティエリー・ピュズラが、来日時にとあるレストランでワインリストから選んだのもピエール・オヴェルノワの「プルサール2000年」。彼が帰国した後に、様々な所からオヴェルノワの補充注文があったのが印象的でした。またフィリップ・パカレが来日した際、彼の旧友である方のワインバーで、しこたま飲んだ後、じゃぁフィナーレにとサービスしてもらったのがピエール・オヴェルノワの「ヴァン・ジョーヌ」。フィリップが「この世で最高のもてなしをしてもらった。」と感激するほど、特別な瞬間です。
そもそもオヴェルノワのヴァン・ジョーヌは、造り手であるピエールたち自身もめったに口にしないという特別なワイン。ピエール曰く、「ヴァン・ジョーヌを飲むのに相応しい日があり、天候、気圧、気温などが万全でないと、その魅力を発揮しないので、開けることが出来ない。」「その特別な日に、家族や親戚、友人、大切な人たちをたくさん招いて、皆でその幸せを分かち合うんだ。」